オート三輪

オート三輪の歴史を簡単に紹介。オート三輪の主なメーカーについても。

2014-01-01から1年間の記事一覧

軽3輪トラックブーム

小型車規格のオート三輪市場が最盛期を迎えていた1950年代前半、1949年に制定された軽自動車の幅員規格拡大に伴い、軽自動車規格のオート三輪が市場に出現した。もともと当時の軽自動車枠は2輪ないし3輪の小型車を想定したものであり、1924年に制定された戦…

国際オート三輪レース

2006年より、インド国内において国際オート三輪レース「CEAT Mumbai Xpress Autorickshaw Rally」が開催されている。第1回の2006年大会は、南インド・タミル・ナードゥ州州都のチェンナイを出発しインド亜大陸最南端の町カニャークマリに至る、およそ1000km…

オート三輪のアジアでの展開

東アジアでは、インドの「オート・リクシャー」(「リキシャ」(力車=人力車)がなまったものに「オート」が付いてできた名称とされる)やタイの「サムロー」(トゥクトゥク)といった三輪タクシーが今も現役で用いられている。これらは1960年代以降に現地でノック…

オート三輪の主なメーカーと製品

◯東洋工業・マツダ・T2000・マツダ・T1500・マツダ・T600・マツダ・K360 ◯ダイハツ工業・ミゼット・CO型、CM型・Bee・SCB型 (1955年)・SDF型 (1956年)・RKO型 (1956年)・RKM型 (1957年)・PM型、PO型 (1958年) ◯新三菱重工業・三菱・みずしま・三菱・三菱号・…

乗用のオート三輪

日本では、1920年代に少数ながら三輪乗用車が製造された事例はあったが、市場において2名以上の定員を持つ「乗用車」として本格的に設計された自動車の成功例はない。1950年前後に、代用タクシーとしてオート三輪トラックのシャシ後部に複数定員を収容できる…

オート三輪の歴史 - 戦後 - 衰退期(1950年代末期以降)

1940年代 - 1950年代の日本におけるモータリゼーション黎明期には、簡易な輸送手段として隆盛を極めた。多くの業種で使われたが、同程度の大きさの四輪トラックよりも格段に小回りが利くことから、特に狭隘な市街地や、林道での材木運搬では重宝されたといわ…

オート三輪の歴史 - 戦後 - 興隆~最盛期(1950年代まで)

戦後、トラック生産が再開されると、廉価なオート三輪への需要も復活した。零細メーカーは戦時体制下の統制でほぼ淘汰されたが、戦前からの三大大手メーカーに加え、終戦で市場を失った航空機産業からの転入企業が多く参入し、新技術の導入と合わせて市場を…

オート三輪の歴史 - 戦前

1917年頃、大阪で前2輪・後1輪で前方に荷台を持つ自転車式貨物車(フロントカー)に、アメリカ製のエンジンキットを装備したものが出現したのが最初と見られている。しかし安定性や積載力を欠くため、ほどなく前1輪・後2輪のレイアウトに移行した[1]。その初期…

三輪自動車

日本ではオート三輪が第一次世界大戦後に独自発生し、当時の国情に合致し、独特の発展を遂げた。この日本の「オート三輪」はオートバイの延長線上に案出されたことによる自然発生的な簡易車両だった。 参照元:Wikipedia「オート三輪」

オート三輪について

オート三輪(オートさんりん)は、三輪自動車の貨物自動車である三輪トラックを指す。日本で用いられる呼称。軽便・安価で、悪路と過積載に強く、小回りの利く特性から、日本では1930年代から1950年代に隆盛を極めたが、その後、より価格性能比に勝る四輪トラ…