オート三輪

オート三輪の歴史を簡単に紹介。オート三輪の主なメーカーについても。

乗用のオート三輪

日本では、1920年代に少数ながら三輪乗用車が製造された事例はあったが、市場において2名以上の定員を持つ「乗用車」として本格的に設計された自動車の成功例はない。1950年前後に、代用タクシーとしてオート三輪トラックのシャシ後部に複数定員を収容できるキャビンを架装した例もあるが、一時的な代用車であって、1950年代中期以前に廃れている。
前1輪型の3輪車としてはほぼ唯一の本格的乗用車だったダイハツ「Bee」(1951年)は、十分な完成度を極めないまま量産を断念された。これは乗用車専用シャーシのリアエンジン車で、一般にはオート三輪の範疇に含まれていない。
1950年代前半の日本では3輪・4輪を問わず、一般家庭が乗用車を所有する水準のモータリゼーションへの発展にはまだ時期尚早であり、この頃試作された4輪軽乗用車もほとんどは日の目を見ることすら出来ずに中止されている。本格的な商品性と実用性能を伴った大衆向けの軽乗用車実現は、前述のとおり1958年の4輪車「スバル・360」まで待たなければならなかった。
このようなモータリゼーション黎明期には、オート三輪でもドライバー以外に乗員1名が乗車できる程度の補助席(丸ハンドル付きクローズドボディが出現してからは助手席が2名に増加した例もあった)が存在するだけでも、大衆の実用感覚では乗用車の代用として通用していた。更には、貨物車の荷台にまで大挙乗り込んでしまう、後年の感覚では極めて危険な行為も、日常的な移動手段の一策としてまかり通っていた実情があった。
後年になって道路交通法の改正により、貨物車の荷台への乗車は、荷台の積載状況を監視する目的において最少の人間を乗せることを除いて禁止された。また、この例外的取扱でも高速道路での荷台乗車は禁止となった[9]。
スバル・360などの実用的軽乗用車や、正式な後部補助席付きのクローズド・ボディ型ライトバンが比較的廉価に購入できるようになり、それらの普及が本格化した1950年代後期以降、上述のように原始的な「代用乗用車」としてのオート三輪利用法は自然に廃れている。
以降の日本における3輪乗用車は、趣味人によるヨーロッパ製3輪乗用車の個人輸入を除けば、一人乗り・後1輪型でスクーターのドライブトレーンを利用したミニカーが1980年代以降に中小零細企業で生産されて限られた形で普及したに過ぎず、普遍的なものとはなっていない。
近年では都市部の小口輸送として、光岡・ライクT3の様な小型の電気自動車の実地テストが行われている。

 

参照元Wikipediaオート三輪